何者かになりたい気持ち

「きっと何者にもなれない」あなたへ – 琥珀色の戯言

を読んで、思った事でも書いてみようかな…

たとえば尊敬する人物を聞かれたら困るし、現実でも目標にしてる人はパッと答えられなかったりする。

それ、知らないだけでしょってツッコミはごもっともなんだけど(笑)

中学で進路調査があったときに、なりたい職業って欄があって、代わりの効かない仕事と書いた自分がいます。

芸術家や職人のように、唯一無二になりたかった。

成長の過程をみても、いつも競合のいない土俵を狙ってなにか人と違う事をしようとしていたなあ。

国語の時間に詩を朗読せよと言われて、歌ってみたりとか。

もっとも、自分が普通に戦っても特別にはなれない事は、早くから気づいていたのかもしれません。

親が小学校教師だと、比較対象がとしてもっと上がいるのを知っているから、本心から褒められる事があまりないんですよね…

だから、凄いと言われるのは嬉しかったけど、凄いだけじゃなくて、真似できない要素が必要で。

で、社会に出て、碌でもない人に騙されたりしつつ何時の間にか大人になって、こだわりが少なくて懐の深い貴重な伴侶を得て、友達付き合いも遠ざかってゆき。

二人暮らしの家と、職場と、たまにご飯を食べに行く友達が一人、ネットで連絡取る友達がちょっと。

性格的に執着心のなさと面倒臭がりで飽きっぽい所が幸いして、ダメだと思ったらすっぱりと次に移れたし、節目を有効活用して人間関係をリセットしてきたからだろうか。

こんな小さな世界で生きている私にはライバルが居ない。

今までちょっと向上心なさ過ぎだからどう思われるか怖くて言えなかったけど、ある意味満足してるんですよ。

その満足を維持する為に、ポジションや、趣味、性格の傾向が被りそうな人がいるところは、あえて避けているかもしれない。

恋愛だけは固定対象に執着せざるを得ないから大変に振り回されましたがね…。

「こうなりたい」が誰かとの比較ではなくて、自分の満足レベルだから、脳内お花畑で居られらるんだと思います。

臭いものにフタをして、環境が変わるまで自分に諦めた言い訳をして逃げ続けている。思考停止状態だ、と言う人もおりますわね。

たとえどんな暮らしの人でも、内心の満足を得られて居なければ、思い通りにならなさに苦しむ事になる。しかも、一つの満足が新たな不満足を産んだりとか。

他人に羨まれたり感心されないといけないわけではない。

人からみて低レベルであっても、他者がかかわらない満足を維持できる条件を解き明かすほうがいいような、と、思うんだよなあ。

自分が他人を見る時ほど絶対評価は必要ないのかも。

中には、羨まれたり、感心されたり、他人に対しての影響力があると自覚できないと満足できない人がいますが、自ら不安定要素を抱えてあえて辛い道を行ってるような…。

いや、バカにしてるんじゃなくて、辛い道はメリットも大きいわけだから、そっちをゆくのは素晴らしいことです。

ただ、楽な道をいく人に辛くないのは間違っているって言わないでくださいよ。

人生訓ブログやら◯◯するための10の法則を見てたらなんか競争し過ぎなんじゃないかと。

そんな大変な思いをして、何者になりたいんだろうと、その情熱はどこからくるのだろうと。

羨ましい反面、死んでも同じ流れにのるまいとしてる私がいます。

こう言う人が日本をダメにして行くと言われても仕方が無いなあ…

…と、ココまで書いて、自分の苦手な友達のブログと似てるなあと気づきました。

思えば、彼女はマイノリティ界の鏡のような人だから私が耐えられなくなって疎遠になったんだったような。

そうか、同族嫌悪だったのか…。

他の人の目には何者に写ってるんでしょうね。